チーム・バチスタ


ちょっと前の話になりますけど、なかなかのスタートを切ったサッカー日本代表、いわゆるザック・ジャパンですが、その初戦の相手だったアルゼンチン代表の監督がマラドーナだったらもっと客も入り、盛り上がったのに…なんて声もあるようですが、たまたま書店で見かけた「サッカーダイジェスト」によると、その暫定監督(なんじゃそりゃ)がなんとあのセルヒオ・バチスタだというじゃないですか!!!


前にも書いたかもしれませんけど、彼はアタシが最も影響を受けた外国人選手なのです。


1986年の「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会」と言われたワールドカップ・メキシコ大会では、その優勝の陰の立役者として(アタシしか言ってない)活躍しました。
攻めのマラドーナバルダーノ、ブルチャガの下で、ディフェンシブハーフ(死語?今風に言うとボランチ?=今風でもない…)として縁の下の力持ち的なポジションだったのですが、その長髪とヒゲで、目立たない存在というわけではありませんでした。


ま、今は「バティスタ」っていうみたいですけど、当時はみんな(だからアタシしか注目してなかったって!)ヒゲの「バチスタ」って言ってましたよ。
ほかにも「ゲーリー・リネカー」は「ガリー・リネカー」だったし、「カレカ」は「カレッカ」でした。(ランバードのスパイク『カレッカモデル』を履いてましたよ!)「エンツォ・シーフォ」は「シフォ」だったし(SHIHOみたい!)、「ルンメニゲ」は「カール・ハインツ・ルムメニゲ」だったなあ。