右側通行


聞くところによると、日本では歩行者は右側通行が基本であるらしい。
確かにそうなっている気もするが、全く無意識である。だいいちこんなこと義務教育ですら教わった覚えがない。まあ、教わらない常識などはいくらでもある。ただこの常識をそれぞれの次世代へつなげていくという努力なしに、この常識を身に付けていない者をマナー違反だと後ろ指差すのは傲慢もはなはだしい。この右側通行について少し考察を加えたい。(追記:右側通行は幼稚園や小学校で交通安全講習会などのかたちで教えられるらしい。)


この右側通行の理由は何だろう。
一つには、自動車道路との関係が挙げられる。つまり日本では自動車が左側通行なので、それと対向させ、事故を少なくするという配慮がなされている、というものである。ということは、アメリカ等の諸外国では自動車は右側、歩行は左側通行なのだろうか。ちゃんと調べていないからわからないが、確かに安全確保の面から考えると筋は通っている。では歩道を中心として考えた場合はどうであろう。歩道で右側通行をすると、その歩道と接している車道はもちろん左側通行なので、歩行者の後ろから自動車が迫ってくるという状況がうまれる。これは危険であり、不合理である。この場合に導き出される結論は、「車道の右側の歩道を左側通行する」あるいは「車道の左側の歩道を左側通行する」のが安全であるということである。それは平行した道路(車道と歩道)を前進するのだから、同じ側を通った方が、すなわち日本でいえば自動車に合わせて歩行も左側通行にした方が安全である、という極めて当たり前の結論が出てきてしまい、現実との不整合が顕在化する。


それでは自動車が無かった時代はどうだったであろう。
日本でいうなら江戸時代の武士や町人を想像してみよう。まず武士であるが、武士は左脇に刀を差していたであろう。ということは狭いところですれ違おうとすると刀同士がぶつかることになる。不合理である。次に町人はどうであろう。着物は(相手から見て)右前に着る。自分から見ると左側の襟が上になる。そして財布(あるいはそれにあたるもの)は懐に入れている。右側通行ならば、すれ違う際にスリにやられる心配はまず無くなる。これは合理的である。


さらにもっと根源的に人間の本能的な動きとして捉えてみよう。
右側通行ですれ違う場合、急所である心臓のある左胸は相手側になる。これは一見不合理なようだが、絶対的に多いとされる右利きの人間は左腕で防御し、右腕で攻撃する。そう考えれば合理的な気もしてくる。心臓の話が出てきたので、ここで運動会のトラック競技を思い出してみよう。トラックは左回りである。これは人間は左側に心臓がついており、これが重たいからかどうかはわからないが、左回りの方が走りやすくなっているという。あるいは沙漠のように周りに何もないところを歩いていると、いつのまにか一周してもとの場所に戻ってきてしまうらしい。これは利き足の方が強い力で地面を蹴るので、その足跡は大きい円を描いて一周してしまうのだという。もちろん右利きの人の方が多いので、これも左回りになるのであろう。
それでは右回り(上り)のらせん階段を想像してみてほしい。右側通行すると、上りの場合には短い距離を上がることになり、下りの場合は長い距離を下りるという、力と距離のバランスによる合理性が顔をのぞかせてくる。むしろこの方が説得力があるのではないか。ちなみに左回り(上り)の階段にはすべて「ここでは左側通行」という表示をするべきだと思う。
ところでこの階段の「左回り」「右回り」は上りを基準に論をすすめたが、これは「階段は上るためにある」というLucyの当たり前ながらも鋭い指摘に依った。


実はこの論には正解を用意していない。
正解があるのかどうかもわからない。ただ先日地下鉄の駅のエスカレーターで、後ろのサラリーマンが「東京ではみんな左側に寄って、エスカレーターを歩く人は右側を上がっていく。でも大阪では逆ですよね。これってなんか理由があるんですかね」と言っていたのが耳に残って離れない。ここまで展開してきた論と関わりがあるのだろうか。左に寄るのは左手で手すりにつかまり、利き手である右手を自由にしておくという意味で合理的である。逆に同様の理由(右手をあけておく)で左手にカバンなどの荷物を持っているとすると、空いている右手で手すりにつかまるのも合理的な気がする。つまりどんな立場の者も、それぞれの立場から考えればそれなりの正統性があるということであろう。


最後になるが、ここまでずっと使用してきた「右側通行」。これは「うそくつうこう」と読む、と中学の時の先生が言っていた。本当だろうか?
調べてみた。広辞苑[第四版]によると『うそく(右側)=みぎがわ。「-通行」』とある。さらに『さそく(左側)=ひだりがわ。「-通行」:交通整理上、左側を通行させること。』とある。本当だった。
そしてなによりも重要なのは、「右側通行」には説明がなく、「左側通行」には詳しい説明が入っているということ。これは「右側」が普通であり、「左側」が特殊であることを示している。
理由、根拠は何であれ、「右側通行」が常識であるのは常識らしい。