本田美奈子派?南野陽子派?それとも…

本田美奈子ネタが続いたので、たまには南野陽子で。

 

というのも、本田美奈子の親友と言えるかどうかはわからないけれど、少なくとも堀越の同級生で、本田が亡くなった時に一番泣いていたのは南野でした。

 

最近では「半沢直樹」での怪演が話題になったりもしたが、やはりアタシの世代の男子にとっては永遠のアイドルなわけです。そんなことを考えていたら、「海の中を電車が走る国に生まれた♫」と口ずさんでしまいました。ナンノのラストヒット曲とも言える『フィルムの向こう側』です。なぜラストなのかと言うと、彼女の曲の中でオリコン第1位になった最後の曲だからです。ちなみに翌週には15位にランクダウンして、1位からの落ち幅が歴代最高(最低)らしいです。

まさか筒美京平じゃないかと思って調べてみたら、何のことはない、作詞・作曲とも飛鳥涼でした。

 

飛鳥涼

そう、ASKAです。チャゲアスの。

ASKAと言えば、最近新聞広告全5段とか使ってるのを見たなぁ。LIVECDかなんか発売されるんですかね。薬物事件の後も何事もなかったかのように活動しているように見えて、なんか釈然としません。

元相方の(HAGEの方はすっかり大人しくしているというのに。ASKAが逮捕、拘束、自粛している間もじっと静かに待ち続けていたにもかかわらず、勝手に「脱退」とかされて、それでも(ASKA以外には)黙って受け入れて、男らしくはあるけれど、悲しすぎやしないか。

 

かつてチャゲアスの全盛期、『YAH YAH YAH』とかをカラオケで歌う男2人とかが全国に蔓延していて、しかも二人してASKAのパートを歌うものだから、でもそれは(HAGEの音域を出せる奴はそうそういないので仕方ない部分もあるのだけれど、誰しもがCHAGEASKAではなくASKAASKAになっちゃってて、しまいには『SAY YES』を歌うときには

「余計なものなど(HAGEだね〜♫」なんてディスられたりもしていたけれど、こうなってみると、余計なものってむしろASKAだよなって思ったりするのですよ。

 

アタシは以前から(HAGE派なので、てゆっか、マブダチがASKAを歌うものだから必然的に(HAGEを歌わされただけですけど、それでもアタシの好きな映画『JINGI 仁義』の主題歌が彼が率いる(HAGE‘s SUPER BAND MULTI MAX『LOVE』だったりしたこともあり、やっぱ(HAGE派なんですよね。

 

南野陽子の話だったはずが、とんでもないところに来てしまいました。

懲りずにまたいつか語りましょう。

ナンノこれしきっ!

 

伝達って、ともすると片想い

前回「伝える」という言葉を多用しました。

 

最近難しいなーと感じることに、「伝える」ということがあります。

相手にあることを話すだけならそう難しくはありません。しかし、相手に自分の本意を理解してもらえたかというのは、なかなか難儀ですね。それを伝えるタイミング(相手がその話を聞く準備ができているか)とか、自分の思いの強さや本気度を受け止めてくれる人なのか、そういうことが可能な関係なのかとか、あるいは年齢差などもありますよね。いろんな要素がからみあって、伝わる可能性が高まったり難しかったりするんですよね。なんとか伝えようとするのですが、わかってもらえないというか、表面的にしか理解してもらえないことが続くと、自分の努力不足を棚に上げて、伝えるのが億劫になってしまいかねません。


「伝達」とはよく言ったもので、「伝える」ことはしたけれど、それが「達した」か、つまり相手の心に届いたか、思いを理解してもらえたかが重要なんですよね。

大切な相手だからこそ、大切なことを伝えたいと思っているのに、相手はそれほど受け止めてくれない時が最も淋しいですかね。

 

ただ、片想いは慣れています。

片想いと言えば菊池桃子を思い出しますが(もう夏どころか秋も終わり冬になりかけですが)、アタシはどちらかと言えば岡田有希子派でした。

ああ…

ユッコも片想いの末に…

 

なんか悲しい連投になってしまいました。

 

 

いいものは、いいと言おう

前回の「好きと言いなさい」で思い出したので、改めてここに書いておきます。

 

お菓子や日用品でよくあることですが、リピート買いするようなものに限って、いつの間にか「廃番」になってしまうことがあります。特に、しょっちゅう買うものではなく、長く使えて良いものだから、古くなったらまた買ったり追加で買い足したりしようと思ったときに、同じものがもう売っていないことがよくあります。

とても売れていれば無くなることはないのでしょうけれど、ニッチなというか、ある人にとってはとても使いやすいものだけれど、そういう人が多くない場合は、淘汰され、あるいは改善という名の改変、時には改悪みたいなことになるのは、そう珍しくないことだと思います。

 

そうしたことを避けるには、どうしたらいいのでしょうか。

アタシは、できるだけ「これはいいですね」と言うようにしています。人は、悪いもの、気に入らないことには文句、苦情、クレームを付けることはカンタンにやります。それなのに、良いものに対して「いい」と伝える努力をしなさ過ぎなのではないかと思っているのです。だから、アタシは店舗によくある「お客様の声」とか、メーカーのウェブサイトなどを利用して、できるだけ「いい」ということを伝えることにしています。

 

世に出回っている「モノ」は、どれも誰かが作ってくれたものです。たとえ工場で大量生産されたものでも、誰かが「これはいい、売れる、役に立つ」と考えて作り出したものに違いないのです。であれば、その人たちへの感謝の意味も含めて、いいものはいいと言うべきなのではないでしょうか。

そんな偉そうな言い方はよくありませんね。もっと素直に、自分が欲しいから、買い続けたいから、楽しみ続けたいから、無くならないでほしいから、残してほしいから、「いいですね、私はこれが好きです」ということを伝える努力をしていきたいと思います。

 

「努力」と書きましたが、ややもすると普段からこんなことを考えているアタシですら忘れがちで、努力しないとつい流してしまいます。そして、手に入らなくなってから気付き、悲しくなり、後悔するのです。

だから、いいものはいいと言おうとしていますし、まわりの皆にもそれを伝えるようにしています。

 

もう、なくなってから、その大切さに気付くのはこりごりなのです。

 

 

 

 

Happy Die Day!

今日、11月6日は本田美奈子の命日です。

 

 彼女が亡くなって15年が経ちました。

 あの日のショックは今でも思い出すことがあります。

 以前にも書いたことがあるかもしれませんが、彼女が白血病を発症してから、私に何かできることはないかということで、願掛けとして「甘いもの断ち」をしていました。

アタシは和洋問わず甘いものに目が無く、4号サイズのショートケーキをホールで、あるいは青柳のういろう(さくら)一本くらいなら一気食いできるほどです。

 たしか、発症したのが年明けすぐだったと記憶していますので、10カ月近く続けていたと思いますが、もう甘いものを食べないことがすっかり日常になっていて、そもそものきっかけを忘れかけていた頃でありました。

 彼女の訃報を聞いたのがどのタイミングだったか、あまり覚えていません。むしろ、その後に何通も届いた友人からのメッセージ、それは「残念だったな」「大丈夫か」というものから「後追いするなよ」というものまで、私の一生の中で最も友人の数を感じた時かもしれませんでした。

 むしろ、アタシはこんなにも本田美奈子ファンを公言していたのだなと気恥ずかしくもなりました。世間的には、その時すでに「過去の人」。『1986年のマリリン』や『ONE WAY GENERATION』がヒットしたものの、脱アイドル路線でMINAKO with WILDCATSを結成したあたりからイロモノというか、ザンネンな感じに思われていました。しかしアタシは、思春期の頃に見た「殺意のバカンス」から「Temptation〜誘惑〜」にかけての彼女の笑顔から離れることができずに、そし時折見かける30代になった彼女のかわいらしい笑顔を、いつまでも追っていたのでした。

 

 私が感じたのは、好きなものは好きと言い続けることでした。そうすれば、思いがけないときに支援者が現れるものです。好きと言い続けなければ、それは消えてしまうかもしれない。好きと言っててさえ、世間の波に流され消えていくものは多いのです。好きなものはなくなってほしくない。ずっとそこにあり続けてほしい。だからこそ、好きと言い続けることが大切なのです。

 

「好きと言いなさい」

本田美奈子も言っていました。

売野雅勇も、筒美京平も言っていました。

「好きと言いなさい」