板野の卒業と峯岸問題


 大江戸先生のリクエスト?もあったので、ひとつ考えてみましょう。


 板野友美の卒業は、既定路線だったので格別の驚きはない。本人も語っているとおり、「いつも考えていた」のはファンの目から見ても明らかであったし、タイミングを見計らっていたのは想像に難くない。


 それが具体的に現実味を帯びてきたのは、2011年の第3回選抜総選挙において8位という結果に終わり、俗に言う「神7」の座から陥落した時からであろう。自分のいるべき場所は、もはやここではない、と。想定外の順位で名前を呼ばれた時の諦観した表情は、見る者すべてに「卒業」を想起させた。板野はその時点で既に先頭を切ってソロデビューを果たしており、AKB48の主たるファン層である男性陣ではなく、むしろ女のコたちからの支持が多い(と言われていた)ので、そう考えるのも不自然ではないどころか必然とも言えた。

 ただ辞める理由が見当たらなかった。

 辞める不安の方が大きかった、と言ってもいいかもしれない。これまでにAKB48から「卒業」した「一軍」のメンバーは小野恵令奈くらいで、彼女にしても表向きの理由は「海外留学」であり、「独立」した者はいなかった。ただ「ソロデビュー」が「独立」への第一歩であることはおニャン子クラブ河合その子の例を引くまでもなく既定路線であった。そういえば河合その子もエース新田恵利を差し置いてソロデビュー一番乗りを果たし、正式な卒業も第一号(ナカジと同時)であった。


 ところが、そんなさなか盟友敦子に先を越される。前田の卒業が、自分の卒業のきっかけの一つであったと本人も語っている。

 それは事実であろう。

 しかし、本当は順番が逆ではないだろうか。前田と仲の良い板野は、彼女の頑張りが「もたない」ことを知っていた。まもなく卒業するに違いない。だとすると、その前に卒業してしまうには時間が足りず、同時に卒業するのは絶対的エースである前田に「喰われて」しまう。自分の卒業の価値を上げるには、その後だという計算があったのではないかとアタシは思っている。少なくともスタッフにはあっただろう。


 前田卒業後の「エース争い」も、大島だ珠里奈だまゆゆぱるるだと、板野はなぜか蚊帳の外。みんな板野が卒業することをわかっていたからに違いない。

 年も明け、機は熟した。
 毎年春先に発表される選抜総選挙の実施前に、卒業する。AKB48ファンによる評価はもういらない。自分のファンの待つ世界へ旅立つのだ。



 AKB48のともちんは去って行くが、アタシのともちんは戻ってきてしまった(?)。
 それで良しとしよう。



 翻って峯岸問題は簡単である。

「どーでもいい 」。

 彼女はアタシの論評対象外、視界外の人間である。
 かわいい子は何をやってもかわいいが、かわいくない子は何をやってもアタシは気付かない。外界でのできごとであるからだ。


 具体的に言っておくと、アタシが坊主で認めるのは長澤まさみ綾瀬はるかだけである。 


 夏目雅子はヅラだったかな。


 本田美奈子の病床での姿は悲しすぎるので思い出すのはやめておこう。

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