山梨県塩山市・塩ノ山の考察(1)


 数年前、ひょんなことから塩山という街と関わりを持つことになったが、意外なことにその語原や姿形の分析が行われていないように思えた。そこで、塩山市・塩ノ山研究の第一人者となるべく、ここに考察を加えたいと思う。


第1回巡検

 今日は半ドンで仕事を終え、その足で塩山に赴くことにした。しかし「かいじきっぷ」の当日売りは無いとのことで、泣く泣く六枚綴りの「あずさ回数券」を購入した。割高だが、あずさにも、そして指定席にも乗れるので良しとする。今回の実検は少し時間がかかりそうだ。何度も訪れる必要がありそうなので、如何に快適に進められるかということも重要になってくる。


 新宿発12:30の「かいじ107号」で塩山に向かう。結局時間の関係で「かいじ」になり、しかも「自由席」になってしまった。まあ、自由席はガラガラで、それはそれで快適だったが。
 事前にインターネットからプリントアウトしておいた資料に目を通す。いずれも塩ノ山の麓にある向嶽寺のことや、そこの看板にある文言を踏襲したものに過ぎなかったが、眠っていた知識を呼び覚ますのには丁度良い。


 気が付くと、辺りには残雪が目立つ山間といった趣だった。しばらく経ち、笹子峠を抜け、勝沼辺りに出ると、左手になだらかな扇状地越しに甲府盆地の穏やかな日溜まりが現れた。その中でも左手前方にポッカリと浮かぶ小山、これが塩ノ山である。
 ここでは、この塩ノ山についてその分析を進めるにあたり、まずその名について考察を加えたい。なぜなら、「名は体を表す」の言葉通り、その名の表すところを突き詰めることによって、正体が現出すると考えるからである。


 前出の向嶽寺にある看板には、次のようにある。
「名前の由来については諸説あるが、平地にポツリとあるので、『四方からみえる山ーしほうのやま』からきていると云われている。さらに康暦二年(一三八〇) 抜隊得勝禅師[ばっすいとくしょうぜんじ]が向嶽寺(当時は向嶽庵)を開山した際、『しほのやま』に『塩山』の字を充て、音読みである『えんざん』を山号とした。」
 上記の「云われ」には、不満はあるものの、否定はしない。調べていく間に、明らかになるであろう。しかし、なぜ「しほうのやま」に「塩山」の字を充てたのかが記されていないことに、不満を感じる。いや、疑問を感じると言い換えてもいいだろう。「塩」の字が用いられたのは、音が同じなのはもちろんだが、「塩」にまつわる何らかのエピソードがあるはずだと想像されるからである。


 まあ、そんなことを思いながら、いくつかの疑問点と、調べてみたい事柄が次々と頭に浮かんできた。それをここに羅列し、今後、調査を進めてゆきたいと思う。


●「塩」が何を意味するのか。文字通り「塩」か、それとも「雪」か、さらには「白砂」か。
●塩(NaCl)の特性。
●岩塩をはじめとする、「塩」の出来方。
●料理から見た「塩」の特性。
●この「平地にポツリとある」地形は如何にして作られたか。
●周囲の地名分析。
●地元住民の苗字分析。
●塩ノ山を覆うアカマツの植生特性。
●「古今集」にあるという「志ほの山差出の磯にすむ千鳥君が御代をば八千代とぞなく」の詠み人とその人の「甲斐の国」とのかかわり。
●「差出の磯」とのかかわり。
●「塩山蒔絵」など文化財の分析。
秋葉神社秋葉山とは。
芭蕉
●不許葷酒入山門
築地塀
●南帝勅願禅窟
●その他文献資料分析。


 これらを資料的な裏付けをとりながら、調査・考察を少しずつ進 めてゆく。