オリンピックからレスリングが消えるらしい


 細かいことはよく知らないが、2020年のオリンピックからレスリングが無くなるらしい。


 日本が勝てそうな種目だから、というわけではなく、反対でありんす。(JINの再放送を見たばかり)


 それは、レスリングが人間が求める基本的な強さを競うものだからである。


 無くしてはいけないものの代表的なものに短距離走がある。「一番早く走れる人間は誰だ?」ということを競うのは、生理的欲求に近い。歩けるようになったばかりの子供のころから、少しでも、誰よりも速く走りたいという気持ちは無意識のうちに芽生えるものだ。それが「100m」がいいのかどうかはわからない。キリのいい数字でしかない便宜的なものだから、100フィートでも100ヤードでもいいのかもしれない。ただ、100マイルというのはやり過ぎだ。マラソンも「速く走る」という点では無意味だ。この競技時以外に、42キロもの距離を走る機会は皆無だからだ。


 同様に「ごちゃごちゃ言わんと誰が一番強いのか決めたらええんや」という前田日明の言葉を借りるまでもなく、レスリングは「基本的な強さ」を競うものである。そういう意味では階級別は無くてもいいかもしれない。グレコローマンも無くてもいいかもしれない。フリースタイル無差別級だけでも実施するべきである。


 もちろん、「強さ」を決めるのがレスリングであるべきか否かという議論はあろう。ボクシングだって、柔道だっていいではないか、と。しかしグローブという道具を使うのは若干割引が必要かと思う(私見)し、殴り合うというのも野蛮過ぎる。敵をぶちのめすのが目的ではなく、(カラダの)強さを競うのが目的だからだ。取っ組み合いで決める方が望ましい。では柔道は?着衣と(ほぼ)裸とどちらが自然な姿かというのは難しいところだが、やはり首を締めたり腕を折ったりという部分は野蛮な部分ではある。逆に抑え込みなんかは本当は良い部分である。見た目は地味過ぎるけど。
 逆に「パンチやキックが無い戦いで最強と言えるのか」という佐山サトル的な意見もあろうが、それは先にも挙げたように、身体能力の高さを競うべきものなのであって、「何でもアリ」的な闘いはプロフェッショナル(興行)に任せていいのだと思う。


 日本の格闘技の最初は、日本書紀に記されている野見宿禰(のみのすくね)vs当麻蹴速(たいまのけはや)の闘いだと言われている。相撲も、レスリングも、柔道も、それこそプロレスも、どの格闘技の起源もこの二人の闘いということになっている。「蹴速」というくらいだからキックもあったに違いない。つまり、シンプルに当時の「最強」を決める闘いであったのである。


 いずれにせよ、そういう「基本的な強さ」を測る競技を、「(西)ヨーロッパで流行っていない」という理由だけで(そう見える)種目から外すのには反対である。



 と結論づけてしまったが、本当は下記のような意見に同意というか、期待したいのもまた事実である。

http://blog.livedoor.jp/vitaminw/lite/archives/52940600.html


 吉田沙保里の行く末である。7人制ラグビーに、ぜひ来てほしいなぁ。もちろん伊調馨もである。そしてアルソックには日本ラグビーのメインスポンサーに名乗りを上げてほしいものでありんす。