本田美奈子と、10年。
早いものですね。
歌手・本田美奈子が亡くなって、もう10年が経ちました。
今日、11月6日が彼女の命日です。
当時、あれは1月だったでしょうか。
3月に秋川のきららホール(だったと思います)で彼女のコンサートが行われるのを知って、行こうかどうか迷っている頃でした。
そこに、彼女が骨髄性白血病だというニュース。
ほぼ同時に、直近に迫っていたその秋川のコンサートが中止になりました。
アタシは何か出来ることはないかと考えました。
水ごり、乾布摩擦、御百度参り、ドナー登録、献血、精子バンク……
あまりに無力。
勇気も根性も行動力も無いアタシは、為す術無く、ただ無為な日々を送りました。
このままじゃいけない。
一念発起。
本田美奈子の回復を信じ、願掛けをすることにしました。それは……
「甘いもの絶ち」
お菓子やケーキの類いを口にすることを、一切やめました。
これが、思いのほか続きました。
春が終わり、夏が来て、誕生日があったにも関わらず、あえてケーキを食べない。
そうして半年以上、続きました。
アタシにしては、かなり長い努力。
でも、その後、いつからか何をきっかけにしたかも思い出せないのですが、いつの間にか戒めを破っていたのだと思われます。「甘いものを食べない」ということを意識していませんでしたから……
そんな時に訪れた、訃報。
本田美奈子、死去。享年38歳。
どこでそのニュースに触れたかは覚えていません。おそらく、会社だったのでしょう。
その日、私のケータイのメール着信が止まりませんでした。そう多くないアタシの友人・知人から、お悔やみのメール。
いや、心配のメールと言った方が正確かもしれません。彼らは、アタシが後追いするのではないかと心配(期待?)してくれていたのです。
世代的に、岡田有希子が四谷のビルから飛び降りた時のことがフラッシュバックしたのかもしれません。狂信的なファンが続々と後追いしたともしてないとも言われています。きっと、それらと同じくらい“狂信的な”本田美奈子ファンだと見られていた、あいつは後追いするんじゃないかと思われていたのですね、アタシは。
でも、うれしかったのは確かです。
みんなが心配してくれたことではなく、みんなが、アタシが本田美奈子ファンであることを覚えていてくれたことが、です。
そんなアタシがしなければならないことは、彼女を見送ることでした。
通夜。
行きました。
幸いにもフレックス勤務でもあり、仕事を早く終わらせ、朝霞に向かいました。
血縁者でも関係者でもないアタシは、線香を上げることも出来ず、ただただ見送るしかありません。
でも、できるだけ近寄りたい。近くで見守り、見送りたい。それは本能と言ってもいいかと思います。
前へ。
明大ラグビー部には劣る巨躯を、まるで前3人を押すようにジリジリと押し込む。後ろの人の迷惑など気にする余裕もなく、彼女の存在を感じられる位置まで近づきたかった。そうして物理的限界まで来たところで、目を瞑り、祈り、思いを馳せた。
翌朝の告別式には行くかどうか迷った結果、行きませんでした。いちおうサラリーマンですから、仕事を優先しました。
そのとき、同僚の衝撃のセリフ。
「お通夜行ってたでしょ。テレビに映ってたよ」
……ちょっと恥ずかしい。
でも、うれしい?
アタシが“狂信的な”本田美奈子ファンであることが、全国ネットで晒されてしまいました。
これが、10年前の出来事ですか。
久しぶりに、ちゃんと思い出しました。
いい機会だったと思います。
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